「実力以上のものでなく、自然体であれ」は本当に良いのでしょうか?

 

PRをするとき。

「アーティストはナチュラルメイクを心がけよう」

「過度に実力を盛りすぎると実際会った時に化けの皮が剥がれる」

「映像は加工や修正はせず、素のまま撮ればいい」

「自然体が一番」

自分、この考え方、

苦手なんです。

決して自然体プロモーションを否定しているわけではありません。

ですが「お客さんをがっかりさせない為」という一点でしか問題を捉えておらず、がっかり対策が主体となった「自然体」戦略は間違ってると言いたいわけです。

 

制作側はそれでいいかもしれません。

お客さんをがっかりさせずに済んだと思います→目的達成!!

でも成果の達成はあったのかなっと。。

 

肝心のお客さんはその自然体を見ていて楽しいと感じてくれたのか?次もあるのか?新規のお客さんはそれで獲得できるのか?

 

などなど。

話は少し変わりますが。

ギターが弾けないことを隠して、公然とライブに出ていたTMNの木根 尚登さん。

すごいいい例だと思うのです。

これってそもそもファンがその「自然体」ってやつを望んでなかったってことじゃないですか?弾けない事にがっかりして離れたファンもいるかもしれないけど、それは「ギターの弾ける木根 尚登さん」が好きな人達だけであって、TMN自体の否定ではないはず。

「得たファン」の方が圧倒的に多かったわけでしょうし。木根さんは勝負に負けたけど、ビジネスという試合に勝ったわけで。(でもご本人は弾けないことに葛藤したらしいですが・・・)

 

まだ発展途上中の人間(サービス)がクレーム対策主体の自然体でいくなら、すでにどこか抜きん出た天才的要素がなきゃ成果を得るのは難しいと思うのです。この情報にあふれ、誰にでも気軽に副業をする現代では尚更。

 

つまり自然体って乱暴な言い方をすると「みんなと同じ」「50歩100歩」「どんぐりの背比べ」になりかねないのです。

それを考慮なしに「自然体が一番」というマーケティングを選択するなんて、本当にそれでいいのでしょうか?クリエイティブとマーケティングの融合を極限まで考え抜かないと。

盛りすぎた映像は「嘘」とか「リアル」じゃないとか、そういった捉え方では可能性を潰してしまうと思うのです。

視聴者は純粋に面白いかどうか判断しています。

 

うっとおしい広告だって面白ければ視聴者は割とOKなんです。

 

「嘘」と「実力を盛ること」は全くの別物です。

自分の可能性を信じて「実力を盛る映像」、制作して行きます!!!!

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